震災・原発事故11年【県・市町村追悼式】「若者のことば」須藤聖菜さん(あさか開成高2年)

震災の記憶を未来につないでいくと決意する須藤さん

震災の記憶を未来につないでいくと決意する須藤さん

 「震災の記憶と希望を未来につなげていかなければならない」。福島市で行われた県の東日本大震災追悼復興祈念式で若者のことばを述べた郡山市のあさか開成高二年の須藤聖菜(せいな)さん(17)は、県内の現状と歩みを発信し続けると力強く誓った。
 震災と東京電力福島第一原発事故が発生した時は六歳だった。何が起きているかも分からなかった。後に報道などで震災による県内の被害状況や課題を知る機会はあったが、当事者として受け止めていなかった。高校生活を過ごす中で、震災の記憶をつなぐ福島民報社が企画制作した絵本「きぼうのとり」や、双葉郡からの避難者と出会い、自らの考え方が大きく変わった。授業で絵本を読み、どんな時でも希望を持つ大切さを学んだ。双葉郡から郡山市に避難している障害者と就労支援施設で交流し、古里を離れながらも前を向いている姿勢に心を動かされた。「きぼうのとり」はここにもいると強く感じた。
 こうした体験を通し、自分は震災と無関係ではなく「福島の未来を創る一員だ」と捉えるようになった。県内には原発事故に伴う風評など多くの分野で課題が山積みのままだと感じている。須藤さんは「下を向いていては何も進まない。風化させないためにできることをしたい」と視線を前に向けた。

県追悼復興祈念式 須藤聖菜さん(あさか開成高2年) 若者の言葉

 あの日から十一年がたちました。
 地震が起きたのは私が六歳の時、小学校入学直前でした。何が起きたのかもわからないまま避難したのをおぼえています。その後、報道などで被害について知る機会はありましたが、震災を経験したのにもかかわらず、震災のこと、そしてその後の福島の未来について、深く考えることはありませんでした。震災に向き合うきっかけがなく、心のどこかで他人事と思っていた自分がいたのかもしれません。しかし、そんな私を大きく変えることになる出来事がありました。
 それは「きぼうのとり」という物語と、ある事業所の方々との出会いです。
 「きぼうのとり」は、原発事故によりふるさとを離れた当時の小学生が、困難な経験をしながらも成長し、今は大人として、それぞれが生きる場所で活躍し、未来を創っていくという物語です。この物語の中では、希望はどのような状況にあっても私たちのそばにあること、そしてまた、私たちひとりひとりが他の人の希望であることを、「きぼうのとり」ということばであらわしています。私は、困難な中にある時こそ希望を持ち、未来を創っていくことが大切である、という想いを持つことができました。
 また、私が通う高校の近くに、双葉地区から避難された障がいのある方々が働いている、就労支援事業所があります。この方々は、彼らを支える多様な人たちと力を合わせて、避難先である郡山市で、この土地のよさを生かしながら、人にも地球にも優しい、SDGsの先進的な取り組みをしています。私も今、その仲間の一人として活動をしています。ここでは、ふるさとを追われるという大変な思いをした方々が、前を向き、力づよく未来を創っています。「きぼうのとり」は、ここにもいるのです。
 私は、これらの経験から、震災からの復興の歩みに無関係でいられないことを強く感じ、そしてまた、私だからこその福島の未来を創ることができるのではないかと考えるようになりました。
 震災と原発事故は、風化させてはいけない事実です。また、福島県には、まだまだ数多くの課題が残されています。しかし、下を向いていては何も進みません。福島にはよりよい福島の未来、そして世界の未来を創っていこうと、たくましく前へ進んでいる人たち、だれかの希望となろうとしている人たちがたくさんいます。
 これを聞いてくださっているあなたもまた、未来を創る「きぼうのとり」なのです。
 私たち高校生は、震災の記憶がある最後の世代です。だからこそ、この記憶と希望を未来につなげていかなければなりません。
 その先には、誰もが、安心してそれぞれのふるさとに住み続けられる未来があるはずです。